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もし全盛期のモンゴル軍が戦国時代に攻めて来たら?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 19:02:08
日本は太刀打ちできるのか

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 23:40:44
戦国時代に蒙古襲来があったら
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1088685950/l50

2 : 日本@名無史さん : 04/07/01 21:49
だな。2

3 : 日本@名無史さん 投稿日: 04/07/01 21:49
モンゴル人など信長様が皆殺し

4 : 日本@名無史さん 投稿日: 04/07/01 21:51
ヌルハチだったら日本はひとたまりもなかった。

5 : 日本@名無史さん : 04/07/01 21:51
モンゴル兵を生け捕って、逆襲来。

6 : 日本@名無史さん : 04/07/01 21:59
豊臣政権時代だったら復讐心に萌える日本軍が大都まで進撃しそうだな

7 : 日本@名無史さん : 04/07/01 22:08
蒙古ないで、お願い。

8 : 日本@名無史さん : 04/07/01 22:51
九州勢にボコられてアボーン。

3 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/05/30(金) 00:09:44
戦国時代といっても長いですが。応仁以降か、文明以降か、それとも明応以降か。
時期によっては少弐を大内・大友や菊地が援助することになるのでは。
幕府はどう出るのでしょうね。

全盛期のモンゴル軍というのも、どういうものかよく分かりません。
騎馬なのか徒歩なのか、モンゴル人主体なのか漢人主体なのか、火器は時代
に応じて発達しているのか否か。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 01:39:32
童貞率が高ければ、「消極的」
童貞率が低くければ、「乱れている」
自立すれば、「核家族化で家族力と地域社会の崩壊」
実家にいれば、「パラサイト」
金を稼げば、「守銭奴・強欲・傲慢」
稼げないと、「弱くて情けない若者達」
勉強が出来れば、「最近の子は頭でっかちで中身がない」
勉強が出来ないと、「学力低下。馬鹿だらけ」
結婚すれば、「友達夫婦。おままごと」
未婚だと、「理想が高すぎ。身の程を知れ」
大きな車を買えば、「金遣いが荒い。金銭感覚が狂っている」
軽自動車を買うと、「最近の若者は大きな車を買わない。若者らしくない」
遊んでいると、「享楽的で向上心がない」
遊ばずに大人しくしていると、「暗い。気持ち悪い。覇気が無い」
積極的に会話に参加すると、「馴れ馴れしい。言葉遣いが悪い」
聞き役に徹していると、「最近の若者はコミュニケーション能力が低い」

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 02:02:02
日本側が団結したら上陸軍なんて何十万も来ないから楽勝じゃないか


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 08:12:49
全盛期に日本に攻めて来ながら鎌倉武士にフルボッコにされた激弱モンゴル軍が
戦国日本に勝てるわけないぞ。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 15:39:09
日本は山多いからそれなりに戦えるのは戦えると思う。

しかし、野戦の類は間違ってもやるべきではないと思うね。
基本持久戦の鉄砲攻撃でいいと思う。
あと、モンゴル軍に略奪を許さないように、民間人の移動とかどこで戦線張るか
とかを熟考するべし。

まあそんなことしてもゴビ砂漠越えて侵攻してくるから、あんま意味ないかもな。
山だろうと川だると難地形だろうと、関係がないらしいとモンゴル関係の書籍には
乗ってる。 意外と野戦でも柔軟で馬から下りて山を迂回して、奇襲するとか
いった戦術的柔軟性も持ってる。

まああれだ。海軍増強という視点にたって上陸させないということがベストでは
ないだろうか。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 16:38:39
モンゴル軍ごとき普通に上陸させてから陸戦で包囲殲滅でいいじゃん

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 18:03:10
戦国から300年昔のモンゴルじゃあまりに比較できんだろう
せめてオスマン・トルコにしろよ
銃も砲も充実しているオスマン軍に為す術もなく、蹂躪され、大坂城はウルバン
の一撃で吹き飛ばされ、秀吉はイェニチェリの足下に平伏して斬首されるであろ


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 23:39:28
てつはうなんて原始的な兵器では種子島銃三段撃ちで撃破されるだろうw


つか、秀吉は逆に侵攻しているのだから守ることを考えな!

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 23:47:28
てか、今の相撲を何とかしろよ

完全にモンゴル人に支配されているではないか???

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 21:32:29
>>9
ウルバンの命中率ご存じ?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 02:02:44
世界地図見てみろよ
秀吉軍が朝鮮半島を進軍したところで世界地図上ではわずかな距離にしかならない

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 04:33:25
ぶっちゃけ秀吉が死ななかったら結構中国に食い込めたと思ふ

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 10:05:30
あほらしい
明にとってはたかだか朝鮮半島でうろついていただけの禿げネズミよりは
絶頂期のオスマントルコを破り、中央、西アジアのほとんどを席巻していたティ
ムールに長生きされていたほうが一千倍脅威

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 11:14:38
1554年に明へ侵攻した倭寇は、わずか60〜70人の人数で数千里を経行し、中国人約4000人を殺傷。
建国以来、明にとって最大の脅威は日本。
日本と較べればチムールは雑魚。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 12:51:01
>>16
もともと嘘臭い話だが、一般住民を虐殺しているだけのことを自慢してどうする
別に正規軍と戦ってるわけじゃねぇし
倭冦の特質からして正規軍が現れる前に立ち去ると思うけどね

偉大なるティムールからすれば倭人なんて糞
っていうか白村江の惨敗以降に新羅が唐と仲違いして戦わなかったら倭なんか唐
の一郡に成り下がっていたな
白村江でわすかな唐軍170隻の軍船に惨敗して倭の軍船400隻以上も焼かれて
所詮、倭は東夷の蛮人に過ぎん

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 14:00:02
>>17
弘安の役では元の正規軍14万が日本軍に惨敗し、戦死捕虜の合計は10万人以上。
元寇の圧勝の後、儒学者玄恵はアジアの諸蕃のうち「東夷」(日本)の特異性を
次のように説いている。

「南蛮には虫を従へ、西羌には羊を従へ、北狄には犬を従へたり。東方は君子国なりとて
獣を従へず。其上天竺・震旦・日域の中には、日本人心もたけく、弓の力餘国にすぐれたり。
故に夷の字をば名づけたる也。夷は弓の字に大の字書入たる形なり。されば夷の字は本朝の
弓箭に携る人の眉目なるべし。」

日本は諸外国のなかで弓の力が強い国だからこそ「東夷」。
日本最強が当時のアジアの共通認識なんだよ。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 15:45:24
>>18
嘘つくなよ
正規軍だぁ?
10万は元が南宋制圧後にもてあましていた南宋の老兵でしかもまともな武装せず
屯田目的で農具を大量に携行してきた
その農具は沈没した引き揚げ船からかなり多く発見されてるじゃないかよ
それにどっかのスレに書いてあったが、日本は対馬、壱岐で惨敗して占領されて
結局、暴風雨で船が沈没したんだろ
火砲もないのに当時の日本の武装レベルでそんなに大型船は沈められんよな
それにそんな大勝したなら捕虜がほとんどいないってどういうわけよ
しかも高級指揮官は一人も捕えていないじゃん
これもどっかのスレに書いてあったが、ヴェトナムは元の遠征司令官や王族の指
揮官や多数の兵を捕虜にしたっていうじゃないか

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 18:06:13
捕虜を約2万得たうちの蒙古人・漢人・高麗人の捕虜は処刑し南人(南宋)人は生かして
御家人に分配した。元側の記録でも生きて帰れたのは10人に1〜2人に過ぎなかったと記されている。
指揮官・幹部は頑丈な船で逃げのびて生きて帰れたようだが、遠征失敗と咎められ責任をとらされて処罰されたという。



21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 20:56:10
嘘ばっかり
日本側が捕虜にできたのは鷹島という江ノ島ほどの小さな島に暴風雨により難破
し避難していた者達で
島の面積や暴風雨により糧食を失ったところから見て到底、万単位の人間がいら
れるはずがない

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:49:53
元史卷二百八 列傳第九十五 外夷一 日本
「五日、文虎等の諸将、各々自ら堅好の船を択びてこれに乗り、士卒十余万を山下に棄つ。
衆議して張百戸なる者を推して主師となし、これを号して張総管といい、その約束を聴く。
方に木を伐りて舟を作り還らんと欲す。七日、日本人来り戦い、尽く死し、余のニ、三万は、
そのために虜去せらる。九日、八角島に至り、尽く蒙古・高麗・漢人を殺し、新附軍は唐人たりといい、
殺さずしてこれを奴とす。」

元韃攻日本敗北歌
「二十万人は白骨山の上に置き去りにされ、海を渡って帰る船がなく、倭人のためにことごとく殺される。」

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 23:01:45
自分が都合のいいところだけ抜粋するなよ
敵の甲冑や武器など物証が引き揚げ品以外ほとんどない
物証なしに文献に全く批判せずに鵜呑みにするのは愚の証明

応永の外寇で宗氏が朝鮮軍に反撃したなどは後世に創作されたことであり
実際には朝鮮軍が倭寇をある程度征伐した後、対馬各地に柵を作り兵糧攻めにし

対馬が朝鮮から直接受けたり、交易による利益で得て食糧を頼っていることを知
っていたからだ
宗貞盛は案の定、根を上げ朝鮮軍に「(元寇時のよう
に)且つ曰く、七月の間、恒に風変あり、大軍宜しく久しく留るべからず」と泣
き付いたのが史実。元寇時に暴風雨により元軍が撃退されたことを示している
これを記した文献は応永の外寇によって事実上(若干の例外を除き、特に対馬の
)前期倭寇に終止符をうったことで信頼できる
前期倭寇の最も有力な頭領で宗氏より実力のあった対馬の早田氏は朝鮮にへつら
い朝鮮との交易に専念することになった

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 08:09:07
>>23
おまえって本当に何も知らないんだな
元寇でボロ負けした元軍の遺品なんて沢山残ってるぞ

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 16:59:25
時代背景を考慮しないとな。
元寇を現代版で解釈すると
 総合国力では
国連多国籍軍VSフセインのイラク
位の差があったわけで
ただ当時の日本は今のイラクより地政学的優先度が低い辺境で
海で囲まれた島であるという点が違うのみだろう。



26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 19:51:23
>>24
ほとんど海から引き上げたやつばっかじゃん
まじになってるとこは笑えるw

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 08:06:14
>>26
700年前の革鎧や弓が海底で原形留めてるわけないだろ

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 10:04:03
>>27
だからそれが何体分あるんだぁ?数万点か?
上陸戦で舟が失われたらほとんどの敵兵は普通戦場で捕われるはずだけどな
しかし日本側が捕虜にしたといわれるところや戦利品のほとんどは戦場から遠い
鷹島じゃないか
難破した舟の一部乗員が鷹島に上陸し避難しただけの話だろ
他は沖合の海中に沈没したか辛うじて渡海して戻れたかだろう
ベトナムは戦闘に勝って戦場で敵の司令官始め敵兵の多くを捕虜にしてるがな

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 10:36:56
>>28
お前、勘違いしてるぞ。
弘安の役の上陸戦でなんか舟は失われていない。
元軍は上陸戦で日本軍にボロ負けして敗走。
それから2ヶ月間、追撃する日本軍にひたすら負け続けて鷹島にたどり着いたわけ。
だから日本軍と元軍の最後の戦場は鷹島。

あと、ベトナムが日本より多くの敵兵を捕虜にしたなどという事実はない。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 11:16:03
>>29
笑える新説登場ってかw
元軍主力が弘安の役で上陸戦を戦ったのは博多湾入り口の志賀島ですがw
これは概説本の殆んどに記載されておりますが、何かw
それに鷹島は初期に松浦党があっという間に敗北壊滅して元軍に制圧されており
ますんですがねぇw
鷹島で最後の戦い?
難破して武器も戦意も失って、しかも屯田目的で粗末な武器と農具と種籾持って
ただけの旧南宋の老兵をパクっただけの話じゃねぇかwww

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 11:29:47
>>30
だから、その上陸戦を戦った志賀島の戦いで元軍は日本軍にボロ負け。
2ヶ月間逃げ回って最後の戦場の鷹島で全滅した。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 11:39:38
そりゃ、セコイ言いようだなw
だいたい日本が3度目の遠征を受けなかった最大の理由は蒙古本隊を含めた元軍
がベトナムに3度目の遠征で大損害を受けたからだ
その時遠征してきた元軍は日本遠征を遥かにしのぐ数十万
しかしチャン・フンダオらベトナム軍に惨敗し元の王族の司令官を始め多くの捕
虜を出したためなんですよ〜ww

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 13:53:36
だいたい上陸、上陸と簡単に言うが
現代戦のように上陸用舟艇やその母艦があったわけではない
海港なしに上陸できる兵力は極めて限定されるし、そのための小舟の準備や兵の
移動にもかなりの時間がかかる
実際、壱岐に上陸した敵軍は誇張のある日本側史料でも400程度
それでも壱岐は元軍に容易に制圧された
別の日本側史料によれば日本兵の遺体が数百遺棄されていたという
つまり元軍は数的劣勢であっても日本軍に勝てるということだ
日本側は少弍氏、龍造寺氏、宗氏、松浦党など高名な者が討たれている
文永の役では戦いはたった1日で後は暴風雨のため撤収したから上陸した兵力は
かなり限られるだろう
高麗の副将が重傷を負ったというが、それが戦闘によるものか上陸の際の事故に
よるものか判断し兼ねる
が、もし戦闘によるものなら重傷者を整然と船に戻せたということは日本側が勝
利していないということだ
戦場で勝利し制圧できたなら、特に上陸戦においては敗軍の負傷者の多くは勝者
の手に落ちるはずである
特に重傷者はそうであろう

つまるところ日本軍が正規戦で勝利したというのは妄想の産物以外にないのであ


34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 16:41:43
>>30
元が3度目の日本遠征よりもベトナム遠征を選んだのは、ベトナムの方が日本よりも
遥かに弱いから。
史料に書かれたベトナム遠征の数字は、日本遠征よりも遥かに少ない人数。
ベトナム軍に惨敗し元の王族の司令官を始め多くの捕虜を出したなどという話も単なるデマ。
元の王族はベトナム軍蹴散らして、無事帰還している。

それから、ベトナムが元軍に勝ったという物証は?

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 16:55:52
>>34
バッカじゃねぇの
日本だけの文献だけが正しいってか
大笑い

日本なんか東南アジアより農耕も金属器製造もはるかに遅い後進国なのに出世したなあ

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 16:59:18
>>35
早く物証だせよ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 19:55:15
弘安の役では元軍は夜襲を恐れ上陸せずに博多湾に停泊し本格的な地上戦は避けていた。
しかし長期の停泊によって疫病が流行り出し士気は低下していた。
そんなこんなでまごまごしているうちに台風がやってきて止めをさされた。
まともに戦っても勝ち目は見えず、退却すればフビライの厳罰が待っている。
そんな状況が遠征軍の首脳の判断を鈍らせたのかもしれない。


38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 21:25:13
>>36
お前はほんと餓鬼かよ
ハノイの歴史博物館行ってこい!
ベトナム軍が干潮になった時に元の軍船を座礁させるため打ち込んだ杭まで残っ
とるわ

・チャン・フンダオの戦歴
1257年ウリャン・ハタイ率いるモンゴル軍を破り、大損害を与え撃退

1284年フビライの息子トゴン、将軍ウマル率いるモンゴル軍をヴァンキェップの
戦いで大破

この敗北に怒ったフビライは第3回日本遠征用に準備していた軍船全てを投入さ
せ、1287年陸路から騎兵、水路から水軍を投入し侵攻したが、白藤江で先の戦法
で次々座礁させた軍船を攻撃し、将軍ウマルを始め多くの捕虜を得、大勝した

彼はその後「兵書要略」「万刧尊秘伝書」で元軍を破った兵法書として著した

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 09:00:03
>>38
1257年ウリャン・ハタイ率いる3000人のモンゴル軍に首都を破壊される。
その後、ベトナムにはダルガチが配備され、モンゴル帝国の属国に。

1284年、チャンパー攻撃のついでに侵攻したモンゴル軍にまたもや首都を制圧される。
聖宗の弟の昭国王陳益稷など陳朝の有力者が大量にモンゴル軍に投降。

1287年にベトナムが白藤江で勝った元の水軍は僅か500艘程。
何故なら、元の海軍はその前の弘安の役で3500艘の江南艦隊が壊滅するという大損害を
受けていたからな。
つまり、ベトナムが助かったのは日本の御蔭だ。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 09:31:15
モンゴル軍から獲得した戦利品の並ぶ元寇史料館
http://www.crossroadfukuoka.jp/photo/4000000000063/1384.jpg

絵で誤魔化すだけのハノイの歴史博物館
http://mkvn.web.fc2.com/gBaoTang/BTLS/BTLSpfb1F.jpg

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 19:51:48
>>39
属国に再び侵攻する蒙古の不思議

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 19:59:01
>>41
ベトナムは占城攻撃の侵攻ルートだったからな

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 23:44:50
>>39
バーカ、ベトナムが元の属国になんかなってないだろ
太宗が聖宗に譲位してから朝貢しただけだろ(古代日本を考えろよアホ、冊封さ
れた国はみんな属国かよバカな奴め)
それにウリャン・ハタイは2日でハノイから退却を余儀なくされてるだろうが
対馬、壱岐、鷹島で惨敗制圧されてることは棚上げか
松浦党は壊滅状態じゃないかよ

まったく、文永の時は博多湾内で戦ったのはわずか1日
モンゴル兵なんかわずかな監視役を除けばいないし
だいたい馬は海港に横付けしたわけでもないのにどうやって下船したり、小舟に乗り移るんだよw
馬が縄ばしご降りたとかw
普通、馬は自分の背丈以上の深さのある海を怖がるはずだがなw

ノーガキはいいから火砲やビザンツの火炎放射器、チャン・フンダオみたいに干
潮時座礁させるような仕掛け以外に数多い大船を沈める戦法とやらお聞かせ願い
たいなぁwww
暴風雨以外にねwww
小舟で奇襲したところで歯でカジっても沈まんと思いますがぁwww

本末転倒なこと言ってるじゃねぇよww、ベトナムが第3回日本遠征を阻止してくれたんだろ
高麗は6回の遠征でようやく制圧下に入った
とても本格侵攻と思えぬ文永を除けば後5回の遠征も耐えられるんかねぇw

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 00:00:15
>>43
バーカ

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 00:16:49
>>43
モンゴルのダルガチがベトナム国内に配備されてる状態はあきらかに属国だろ

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 01:45:07
>>43
バーカ

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 05:36:50
ダルガチの意味知らないじゃないか
東南アジア方面の統括を任されるだろう担当は雲南にいたはず
しかしそれも南宋、大理国征服後のことである
遠征軍が敗れて退却したのにダルガチだけいるのは奇異なことだな
具体的なダルガチの名を出してみろよ

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 07:30:23
>>47
陸路が遮断されてる所には文官であるダルガチは配置されないと見ていい

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 08:08:07
>>47
ベトナムに赴任したダルガチは、

中統3年、訥刺丁
至元5年、忽籠海牙
至元6年、張庭珍
至元9年、葉式揑
至元10年、李元
至元12年、合撤児海牙

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 15:02:38
モンゴル軍が鉄砲で射殺されて終わり

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 20:49:02
どう考えても日本は東南アジアなんかと比べて、食糧資源が乏しいので現地調達付加。
補給が無理で元軍全滅。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 20:49:15
>>47さん、気にするなよ
>>45はここのジャンルの鎌倉なんとかとかいうくだらないスレで
ウリャンハタイが3000の兵だけ率いてきた来たとかトンデモ言ってる奴だからよ
ウリャンハタイはモンケ・ハン配下でフビライとともに大将軍と知られていた
それがたった3000の兵指揮するためにわざわざ出てくるわけないのにな
後に南宋で苦戦しフビライに救出され兵が激減したときでさえ数千いたのにさ

まさかと思うが奴は安南志略をもとに物言ってだろ
安南志略の著者は元のトゴンに降伏した陳朝の王族陳鍵の幕閣であった黎
陳朝の反撃で陳鍵が戦死しトゴンと共に元へ逃亡
その後、漢陽に住んで元の立場から安南志略を著した
従って正当な史書である大越史記(全書)とはかなり違う記述になっている

とにかくヴェトナムにはウリャンハタイやトゴンのような名のある将帥が
指揮する正規軍が侵攻してきて

日本にはたいした戦闘経験もない指揮官に僧侶や流民を強制的に捕まえ
武装した者や南宋の老兵を指揮した烏合の集団が一応攻めてきただけなのさ

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 13:48:55
モンケ・ハーンのもとで行なわれた南宋侵攻の際のウリアンハダイ部隊の構成は、
騎兵3000人と蛮ポ1万人。

元史卷一百二十一
「憲宗遣使諭旨,約明年正月會軍長沙,乃率四王騎兵三千,蠻、ポ萬人,破山寨,辟老蒼關,徇宋内地。」

蛮ポというのはモンゴルの東南アジア進出にともない帰順した現地のタイ系民族で、
ベトナム遠征には参加していない。
ウリアンハダイがベトナム戦に投入できたのは残りの騎兵3000人だけね。
この時期、東南アジアに展開していたモンゴル軍の兵力なんてそんなもの。

それから注目は、南宋に攻め込む際にウリアンハダイがベトナムを通り道として
利用してること。
ベトナムはモンゴルの属国だから、領内を通過することに何の問題もないのね。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 18:05:24
ちなみにモンケ・ハーンの南宋侵攻の時、文永の役の副司令官を務めた劉複亨はモンケ・ハーン直属の武将として
最大の激戦だった釣魚城攻防戦に参加し、手柄を立てている。

元史卷一百五十二
「憲宗西征,複亨攝萬戸,統東平軍馬攻釣魚山苦竹寨,有功,師還,兼コ州軍民總管。」

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:48:21
>53
>52
の言う通り3000だけじゃなかったわけじゃないか
誤魔化しは酷いだろう

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 08:36:32
>55
何でそうなるんだよ?
ウリアンハダイのベトナム侵攻についての元史の記事はこれ↓

元史卷二百九
「乃遣徹徹都等各將千人,分道進兵,抵安南京北トウ江上,複遣其子阿術往為之援,並覘其虚實。交人亦盛陳兵衛。
阿術遣軍還報,兀良合台倍道兼進,令徹徹都為先鋒,阿術居後為殿。」

先鋒の徹徹都、本隊を率いる兀良合台、殿軍の阿術の各将がそれぞれ1000人を率いていたんだから、
ベトナムに侵攻したモンゴル軍の兵数は3000人だけじゃん。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 11:05:23
だったら元冦の際の兵力から高麗や南宋の兵を除外すべき
それに元軍といわれる兵の中には大都周辺を含む中原の旧金領域の住民が強制徴集されている者がかなり多い
これも当然のごとく除外すべきだろう

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 09:06:43
>>57
ベトナムを属国化したモンゴル軍が僅か3000人だったからって、元寇にしっかり参加していた
高麗や南宋の兵を除外する理由にはならないよな

59 :月読:2008/07/11(金) 17:20:31
日光よろしく!

60 :係長 ◆jpbFmiRpAQ :2008/07/21(月) 20:56:11
|Д`) …

61 :福岡出身のひと:2008/07/23(水) 06:27:43
まともに陸戦で、モンゴル軍とやりあっても勝てないと思う。
村上水軍や九鬼水軍などの水軍を駆使して、いい勝負ができると思う。
モンゴル軍は、水上の戦いには弱かったような気がする・・・自分の記憶が確かなら


62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 07:17:01
鎌倉時代に九州武士に負け店じゃん。
海を越えてとなると馬を大量に持ってこれない
日本の地形では大陸のような機動性も発揮できないだろうし
火縄銃で鎌倉時代以上にフルボっコになるのでは?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/28(木) 22:44:43
二人は同一人物なり

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