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もし徳川家定に世継ぎが存在していたら

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 23:23:02
江戸幕府は不滅ですたか?

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 02:03:30
んなわけない

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 02:59:47
少なくとも一橋派と南紀派の対立は先鋭化せず、開明派大名や幕臣たちも左遷
処罰されなかったでしょうし、
弾圧によって先鋭化した長州などの尊王攘夷運動も、その形が変わっていたこと
でしょう

慶福(家茂)は紀州藩主のまま生を全うしたでしょうが、慶喜は開明派大名、幕臣
らのホープとして、違った形で歴史に足跡を残したかもしれません

しかし彼らの思想は幕権強化ではなく、「共和制」(リパブリックではなく、
雄藩連合)で難局を乗り切る、というもので、あの大政奉還も、最初に言い出した
のは一橋派幕臣の大久保一翁や四賢候の一人松平春嶽です
彼らが政局の中枢にい続けたら、幕府という形態はなくなっていた可能性は高い
だから不滅ではない、というのが僕の考えです

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 14:20:21
米英仏の植民地

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 15:38:38
家定の没年がそのままだったら
世継ぎもきっと幼君だから 混乱はやはりするだろうな。
家定が長命なら展開が変わりそうだが。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 16:58:56
大御所家定、発作的に大政奉還
万事めでたし、メデタシw
一切の争乱なしに日本は近代国家に

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 21:52:56
良スレの予感

8 ::2008/06/22(日) 01:03:55
>5
そうですね
僕は「お世継がいる=家定は長命を保つ」と無条件に考えて、イフを述べました
が、仰るとおりの場合もあるわけで、
ソレは家定のときに紛糾した将軍継嗣争いがそのまま一代スライドすることに
なりますね
ここではお世継(幼名は十中八九『竹千代』だけど、将軍になったらどんな
名前になるんでしょう)の生母のウェイトも増してきますね
これが志賀であれば、彼女は贅沢好きであったと言いますから、恐らく南紀派
に組し、
天璋院であれば、後の言動からして、かなりはっきりと、これまた家茂をおすで
しょう
。。。かなり南紀派に有利です。困った

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 06:51:23
井伊直弼が登場しない展開・・・これが変化が大きい展開と思うな
この人がいなければ安政の大獄はないだろうし、対立が今少しソフトになりそうな
家定長命の場合にありそうな

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 11:28:27
家定の世子時代に世継ぎが誕生していたと仮定しては駄目なのかな。
最初の正室とは十八歳で結婚してるわけだから、二十歳で生まれたとしたら
家定の没年同じでも十六歳。生まれた時から世継ぎだから許嫁も既に決まり
江戸城にいておかしくないし、家慶婚儀の年齢が十六歳だから婚儀も可能。
家定以前の若年での将軍就任者、家継(三歳)、家綱(十一歳)と比べても
そこまで幼くないし、その十四代の能力如何によっては政にそう支障は
来さなかったかも。早めに世継ぎ産んでくれれば後継問題も無し。

…と仮定で述べてみたが、>>1に答えるなら世情から言ってどのみち幕府は
終わっていたのでは無いかと思う。詳しいシミレーションは難しいが。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 20:41:37
いずれにせよ
欧米側の動きに掛かって来るだろうね

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 22:48:12
側室にして

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 01:57:25
世継が幼少のまま将軍継承では、誰かが書いたように、史実と大して変わらぬ
ことが一代スライドされるだけだから、あまり面白くない
とりあえず成人までは家定さんに生きてもらって、
で、井伊直弼の出番はない、としてみたい

諸外国の動静はいじらないで、ロシアはアメリカに先を越され、
ペリー、ハリスとアメリカが一番槍

さて俊英ではないが人並みの家定の子は、やはり父と同じくお飾りの存在で
彼を補佐する為に一橋慶喜が後見となる
しかし慶喜もまた若年ゆえ斉彬、斉昭には頭が上がらず、
一応の目的を果たしたゆえに同士の争いが起きる
すなわち積極開国派の斉彬、岩瀬ラインと
消極開国派、ぶらかし戦法の堀田、川路ライン
そして極右に攘夷派の斉昭、東湖

やはり幕閣は分裂してしまい、その力を低下させてしまうのであった

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 07:04:13
井伊直弼は当時の譜代の筆頭格で大老になれる
出てこないというのは極めて考えにくいな

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 22:02:25
まあ史実でも一橋派は分裂してしまったがね

やはり斉彬がどこまで生き延びるか、がキーだと思う
評判だけの名君烈公では下積みの長い埋木舎にはかなわなかった
だけど斉彬ならどうだったかなあ

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 23:15:57
もし西郷吉之助が月照と共に水死していたら

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 18:49:52
長生きなら阿部の方が良かったのではないかな

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 19:26:24
確かに
阿部がも少し長生きしていたら、井伊の出番は無かったか


19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 13:51:18
しかし阿部正弘の路線の延長は第二の室町幕府でしかないような希ガス

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 10:06:59
もしってここも妄想スレ?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 12:13:02
難民板だからね
というより、学問板でも妄想書いている奴あ多い

もう‐そう〔マウサウ〕【妄想】
[名](スル)《古くは「もうぞう」とも》
1 根拠もなくあれこれと想像すること。また、その想像。
「―にふける」「愛されていないと―してひとりで苦しむ」
2 仏語。とらわれの心によって、真実でないものを真実であると誤って考え
ること。また、その誤った考え。妄念。邪念。
3 根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理
によって訂正することができない主観的な信念。精神病の症状としてみられ、
内容により誇大妄想・被害妄想などがある。
【大辞林】

小説はもちろん、教養書も妄想を語っているのは結構あるよ
というか、妄想を排除したら、大半の歴史スレは成り立たんだろうよ
歴史を述べるのは君が思っているより難しいんだよ


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 14:37:55
>>21
そんなに簡単に釣られないようにw

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 19:01:43
>>22
そんなに簡単に逃げるなよ

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 19:29:05
は、反論?


粘着乙

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 19:54:49
第二の室町幕府化
確かにそうなっちゃうかもしれないなあ
とはいえ、有力外様は島津だけで、むしろ尾、越、水など親藩が主流なんです
よ、一橋派は
また開明派幕臣も多いことは見逃せませんね


26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 20:41:28
薩摩は宝暦年間の木曽川治水工事で手痛い目に遭っているからそれで徳川協調路線を採り出した。
とはいえ、田沼一派とは正面切って組めない、というより組みたくなかっただろうから一橋と組んだんだろ。
家斉将軍擁立は御三家親藩や薩摩を引き込んだ一橋(治済)がいわば「位攻め」で松平定信と共に
田沼意次追放に成功した結果成就したもの。
一橋治済の妹(保姫)は島津重豪の正室になっているし、徳川家斉の正室も薩摩から近衛家経由で
嫁いでいる。島津斉彬の正室も一橋家から。
そしてご存じ家定の正室は薩摩の「篤姫」。斉彬には実子の姫がいないのに強引に分家から持ってきた。
薩摩島津は一橋家(および一橋系将軍家)とは切っても切れない縁戚だ。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 21:13:36
しかし斉彬はその一橋系である慶福ではなく、水戸系である慶喜を推した
なぜだ?

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 21:43:28
斉彬は一橋系を見限った、ということさ
大きな変革の時代の、大きな賭け、だろうな

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 22:05:19
いや水戸が一橋本家を乗っ取った
一橋の養子縁組攻勢に耐え抜いたのは御三家や主だった親藩の中では水戸家だけ
島津斉彬と水戸斉昭は結構通じ合う関係になれたのかもしれない。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 23:22:28
斉昭は攘夷コチコチに描かれることが多いが、意外に幅の広い人物だからね
斉昭、斉彬が生きていたら、慶喜は将軍になってもかなり押さえつけられた
だろうなあ

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 06:12:40
>>25
室町幕府は有力守護大名の連合政権という面が強かったけれど、同時に足利一族の
凄惨な権力闘争の歴史でもある。関東公方や将軍家内部の争い。
有力守護大名+足利一族の争いが発展して応仁の乱となり幕府は崩壊した。

実は、外様より御三家御三卿や親藩の方がタチが悪いんだよ。
外様が政権を乗っ取ろうと思えば徳川幕府をひっくり返すほどの戦いが必要だが
特に御三家御三卿は将軍位だけを乗っ取れば事は成就してしまう。

徳川家康が幕府の政務に譜代大名だけを担当させ、外様だけでなく徳川親藩も
政治に参加させなかったのはそれが理由。徳川親藩はいざという時の「血筋」
のプールだけで、それ以上は望まなかった。というよりむしろ争いを警戒した。

海外からの圧力で幕府は動揺したが、同時に水野忠邦・阿部正弘あたりで
譜代の人材が枯渇してしまったのも原因。大老井伊直弼での一発逆転を図ったが
これは完全にウラ目。
譜代のみの政権運営が瓦解したことで、それまでの幕府はもう事実上消滅
桜田門外の変以降は応仁の乱後の室町幕府と同じといっても過言ではないな。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 21:49:58
徳川と足利の最大の違いは、政権に参加をさせる者たちの所領の大きさでしょう
家康は富と権力を分割し、政権を担う譜代の所領をなるべく低く抑えた
井伊は別格だけど、これは徳川家の絶大な信頼を示すもので、井伊もそこに
プライドを持っていたから大丈夫
そして一族に政権を担わせたのは非常時の特例で、保科正之、松平定信くらい
しかも楽翁は血統こそ吉宗の孫ではあれ、養家は久松松平だから、老中になっ
てもおかしくない
(正之も親子二代は保科だったから、これまたおかしくないか)

そもそも幕政を担うというのは、江戸時代では名誉でもなんでもなく、むしろ
将軍家の奉公人である譜代大名と同列ということで、
親族は敬して遠ざけられたんですよね

それが久光上洛、文久の幕政改革で狂ってくる
雄藩連合で難局を乗り切ろうとしたんですね
。。。て、なんだ、室町幕府化も、史実でも大体その通りになっているじゃん

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 22:36:21
だから>>31がそういってるじゃんw

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 23:08:34
まあいいじゃん
それぞれがそれぞれのルートで述べたわけだから

どうもこのifスレは冒険できないなあ
今までのところ大体ホントの歴史と大差ない流れになっている
やはり世継ができたくらいでは、大きな変化はないか

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 23:13:56
そこをなんとか

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 20:07:51
家定なんてクソ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 06:05:54
徳川家定がハリスとの謁見の際、足を踏み鳴らし、顔を反らしたという話は脳障害の症状だと言われていたが
大河ドラマでは歌舞伎の演技のように演出されていた。
将軍家定は歌舞伎など見聞していたのか???

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 13:21:13
最近の大河ドラマは何でもアリ

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 08:56:41
家定は病弱だが英明な君主だったんだよw

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 22:59:59
奥女中たちは歌舞伎くらい見たことはあるだろうな
奥に入った後はどうかわからぬが

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 23:48:16
大奥の人間になって体とあんまり観過ぎるとかつての「絵島」のように処罰されてしまう。
家定は見たことはないだろうね。
NHKというより原作者の創作なんじゃ?

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 00:12:08
>>39
英明ではないが、以前言われていたような阿呆ではないことは確か
脳性麻痺だから、知能は高くても、運動障害、言語障害が出るのね
(ちなみに脳性麻痺というのは、脳が麻痺してるんじゃないぞ
脳になんらかの損傷があって<「脳性」、運動能力の一部が「麻痺」するん
だよ。言葉を喋るのも、口を動かすから、麻痺するとうまく喋れないね)

九代の家重さんも脳性麻痺の可能性がある
つまりこちらも従来言われているような阿呆ではなく、
実はなかなかのしたたか者で、弟の宗武を登城停止にしたり
甥重富重昌(宗尹の子)を越前においやったりしてる
(このころ吉宗は中風で寝たきりだった)

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 02:13:38
家重さんは将棋は強かったらしい

家定は五目並べなんか???>大河ドラマ

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 10:47:03
家定の趣味で有名なのは料理か。(上手いか下手かは知らないけど)

他には、医道に大変詳しかったとか、狂言がとても上手かったとか、
人の名前を良く記憶していた等当時傍で仕えてた人々の証言にある。
外国人に偏見を持たず、外国通の外科医を度々呼んで外国の事情を尋ね、
それでも得心いかなかったら幕府の通辞にさらに調査を命じていて、
こんなことは前後の将軍にも無かったとも御側御用取次が言っている。

後は絵かな? 篤姫展で何枚か展示されてたけど、普通に上手いと思った。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 13:33:16
世襲の不幸はいろいろあるよね


でも一番の問題はやはり世継ぎの有無

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 15:26:34
家定のことを癲狂だとか精神薄弱者と書いていたのは司馬だろ

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 21:00:03
ごもっとも

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 22:14:22
所詮小説だから
確かに綿密な取材をしているけど、先入観もすごいしね

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 23:06:54
家定の絵って、「柿図」以外にあるのか?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 17:42:28
>>49
「柿図」の他、「松図」、「蔓草の図」、「日ノ出遠山烏図」
が篤姫展で展示されてた。他にも残っているのかはわからない。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 18:16:18
感謝!
家定って、家継の次に現存する書画が少なくて
「柿図」以外知らなかったもので
篤姫展のパンフ探してみます

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 19:11:19
堺家定死んじゃった

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 09:15:17
近所じゃ家定っていい人ねと評判だった
変わった役作りだったな

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 07:07:25
やっぱ最後は麻裃着用の上見事に切腹して欲しかったな

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 23:39:26
そりゃ新選組の山南だろが

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 00:16:27
そういや家定死んだのは暑い時期だけど葬式まで一ヶ月かかるって其の間防腐処理とかしてるのか?
TVを見てても普通なら篤姫が臭気でとても棺おけに近づけんだろうにと思うけど

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 08:34:43
実はオレもその点ばかり気になっていた・・・

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 09:46:39
昔の人はだなあ・・・・・・・・・・(ry

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 11:52:00
臭いものにはふたをする
基本中の基本だw

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 09:29:42
井伊直弼は14男であるにもかかわらず数々の偶然の積み重ねにより
彦根藩主になり大老になり安政の大獄を起こして1860年に殺された。
その偶然のうちどれかひとつが欠けていれば彦根藩主になることもなく
安政の大獄は発生せず吉田松陰や橋本佐内も無事だった。
例えば、井伊直孝が藩主であった1658年に彦根城下で大鷹かなんかが
珍しい巣をつくらなければ国元を守っていた世子の直滋が父に吉兆
だからと江戸にいる父に報告と贈り物をすることもなかっただろう。
であれば、こんなつまらんことに金を使うのはもってのほか、こんな
奴には任されんと父から廃嫡されることもなかっただろう。
(父は1959年死亡、直滋も1961年死亡しており息子がいたかどうかも
不明ではあるが..)

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 09:31:24
訂正→(父は1859年死亡、直滋も1861年死亡しており息子がいたかどうかも
不明ではあるが..)




62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 11:38:34
山本太郎、たかじんの番組「竹島を韓国へあげればいい」発言でブログ炎上
⇒都合の悪い文は削除⇒謝罪文形だけで反省の色なし。ヤレヤレ
芸能界から消えてほしい糞タレントが一人増えたよ。

http://www.yamamototaro.com/blog/




63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 22:04:00
井伊の話はもういいよ

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 22:17:56
スレタイに沿うなら、篤姫が世継ぎを産んでいた場合が気になるかな。

斉彬としたら政治に口出しする為に慶喜推したいところだけど、
島津の血を引いた世継ぎが生まれたわけだし。
斉昭にしてみれば、元々篤姫輿入れに反対だったのを慶永らに
「慶喜を後継にする為の大奥工作の一環」と言われたからOKしたようなもの。
斉彬は斉昭と距離をとりたかったようだから、島津と水戸は一気に仲が悪くなったかも。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 22:28:47
お志賀の方が後継者を生んでいたらドッチラケ的痛み分け

というか実際の家定が心を許した唯一の女性は歌橋の方だろう。
そして家定には生殖能力がないのを見越しての篤姫による慶喜推挙運動だったと。

紀州派と一橋派の争いは、徳川譜代VS親藩・外様なので、少なくとも斉彬存命中は薩摩と水戸はそう簡単に分裂しない。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 00:06:52
>>65
気になるのは、藤田を失った以降の斉昭の暴走っぷりなんだよね。

篤姫が世継ぎを産んでもまだ赤子、非常事態だからとあくまで慶喜を推すことは
出来るかもしれないけど、将軍の嫡子相手では分が悪すぎる。
慶喜を継嗣にする為ってことで大奥に入った篤姫が島津の血を引いた世継ぎを産んで
慶喜継嗣が絶望的になったら、斉昭としたら釈然としない物があるだろう。
ここで斉彬が上手く動いたら、分裂は阻止出来ると思うけど。

後、家定に生殖能力が無かった可能性は高いが、このスレでそれを言ったらおしまいだw

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 20:12:14
14代将軍家茂の治世、将軍の又従兄弟にあたる男が、将軍の意向に逆らって野に下り、自由闊達に生きていた。かれの名は松平長吉郎茂頼。家定と将軍の座を争って命を落とした

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 05:47:57
にょほほほほほー

かくれんぼしておるのぢゃ



…子供の相手にちょうどよい

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 00:04:20
家定の世継ぎなら葬られただろうな
徳川家基のように

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 00:35:15
ところで大河ドラマ篤姫の宮崎あおいは何でおはぐろをしないんだ???

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